青山歴史村

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◆施設概要/丹波篠山市立 青山歴史村

丹波篠山市立青山歴史村

青山歴史村は、篠山藩主青山家の別邸であった「桂園舎」と呼ばれた建物を中心にして、 3棟の土蔵と長屋門から成っています。

全国的にも珍しい漢学書関係の版木1200余枚、 篠山城石垣修理伺い図面、藩政始末略、印判等、江戸時代の歴史文化を物語る史料の数々を展示しています。

また、内庭には石造金櫃、篠山藩士で和算学者「万尾時春」の顕彰碑、「篠山城惜別の碑」などを屋外展示しています。さらに、篠山藩政文書、青山家ゆかりの品々や篠山藩校「振徳堂」の蔵書なども所蔵し、 歴史村の名にふさわしく、江戸期の政治、文化、生活の実態を体感いただけるところです。

◆青山家のこと

徳川譜代として幕閣に重きをなした青山家

篠山藩主青山家は、江戸幕府が編纂した系図集『寛政重修諸家譜』によれば、「花山院堀川師賢(後醍醐天皇の忠臣)の 子 信賢、その子 師資、其の嗣 師重、初めて青山と称す」と記されています。師重の後裔忠門のとき、近江国から 三河国へ移り住んで三河国額田郡百々村に城を構え、松平広忠・徳川家康の2代に仕えて青山氏発展の基礎を 築いたのです。

その子忠成は早くから家康に近仕し、21歳の時に父忠門の後を継いで、天正13年(1585)、秀忠の傳役となり ました。11歳の秀忠が上洛したとき随従して豊臣秀吉から従五位下常陸介に叙任され、家康が関東に入封されたのち武蔵国に 5千石の知行を与えられました。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに際しては秀忠に従軍して決戦に遅れましたが、 翌年には上総国と下総国に併せて1万5千石を賜り大名に列したのです。さらに、江戸奉行・関東総奉行を兼任し、 本多正信・内藤清成と並んで幕政に重きをなしました。

秀忠の治世下では、忠俊は「仁」の酒井雅楽頭、「智」の土井大炊頭とならんで「勇」の青山伯耆守と並び称されて 将軍秀忠を輔け、武蔵岩槻4万5千石に出世したのです。ところが、元和9年(1623)3代将軍家光の勘気にふれ、 忠俊は領地を収公されるという憂き目にあいました。忠俊がなぜ勘気にふれたのか、その理由については明確ではなく 記録も残っていません。

とはいえ、寛永九年(1632)に秀忠が死去すると出家して春室宗信と名乗った忠俊に江戸より 「赦免」の手紙が届いたのです。このことから、忠俊の失脚は新将軍となった家光と大御所秀忠の二元政治という 当時の政治状況によって起きたものであったと想像されます。つまり、家光は忠俊の忠誠をわかっていながら、 自己の権力強化のために秀忠派の重鎮忠俊を切り捨てたということだったのでしょう。

こうして、寛永11年(1634)、赦免を受けた忠俊の嫡子宗俊は御書院番頭・大番頭をつとめ旗本3千石に復帰、 正保5年(1648)には信濃国小諸2万7千石の大名に返り咲くことができたのです。さらに、大坂城代に任じられ、 延宝6年(1678)に浜松5万石に転封されるなど青山氏の再興を成し遂げた宗俊は、翌7年、76歳を一期として 世を去りました。

その後、青山氏は丹波国亀山に移され、さらに、忠朝の代の寛延元年(1748)に篠山へ国替となり、 以後、明治維新まで篠山藩主として存続したのでした。

篠山城内に鎮座する青山神社

◆歴史村について

篠山藩主青山家に伝来した諸史料を公開展示

青山歴史村は、「桂園舎」と名付けられた建物を中心にして、3棟の土蔵と旧澤井家長屋門から成っています。 版籍奉還後、青山家の別邸として建てられたもので、藩政文書とともに、青山家ゆかりの品々や 篠山藩校「振徳堂」の蔵書などを所蔵しています。

昭和62年(1987)から青山歴史村として一般公開されていましたが、平成10年(1998)に歴史村を管理していた財団法人青山会から 篠山市に全資産をご寄付いただいたのを契機に、改めて青山歴史村として整備。 伝来品・蔵書の保存を図るとともに、調査研究にもご活用いただける諸史料を所蔵しております。

青山歴史村
旧澤井家長屋門
青山歴史村 桂園舎
青山歴史村
青山歴史村 桂園舎
青山歴史村 桂園舎

青山歴史村 棟別面積

桂園舎490.71㎡
長屋門(旧澤井家)54.45㎡
土蔵北側二棟(書籍・文書蔵)89.10㎡
土蔵南側一棟(展示館)84.15㎡
庭 ほか2184.282㎡
総面積2902.692㎡

主な収蔵品一覧

旧澤井家長屋門市指定文化財
明治維新藩政始末略市指定文化財
篠山藩政関係の印判・廃藩直後の印判市指定文化財
篠山城石垣修理伺いの図面(寛延4年)市指定文化財
青山文庫(和漢書)市指定文化財
丹波篠山藩「青山家」古文書市指定文化財

◆見どころ、展示物

青山歴史村でしか見ることのできない史料

展示 / 石造金櫃(せきぞうかねびつ) (市指定文化財)

篠山藩政時代に使用していた石製の金庫である。篠山城大手馬出の北側(現三井住友銀行篠山支店地内)には、 もと篠山藩貨幣司が藩関係の金融取引を行っていた掛所がありました。その土蔵床下の土中に埋められていたのが、 当石製金櫃です。花崗岩製の板石を組み合わせた櫃で、上蓋は6枚の板石が並ぶようになっています。
※縦216㎝、横120㎝、深さ70㎝、石の厚さ12㎝。

展示 / 篠山城石垣修理伺の図面  寛延4年(市指定文化財)

篠山城石垣修理伺の控えで、篠山藩主から江戸幕府へ石垣損傷箇所を図示して修理を願い出た公文書です。

これまでに発見された篠山城に関連するこの種の絵図の中では、最も大きな絵図です。寛延4年(1751)4月に、 青山忠朝が願い出たものと、宝暦12年(1762)5月に、 青山忠高が願い出たもので、控えのため一枚の図面を併用しています。

大学衍義補版木(だいがくえんぎほはんぎ)他 (篠山市指定文化財)

青山歴史村に残る「大学衍義補」(寛政4年=1792)「通鑑覧要」(天保5年=1834) 「刪訂古今文致」(慶応3年=1867)の三種類の版木は、いずれも篠山藩が翻刻したもので、 これら漢学書関係の版木は全国的に珍しいものです。堅い桜材を使用しているため、当時そのままの姿で保たれています。 版木の裏面に落書きされたものがあり、その発見によって翻刻の年代や作者の人名等が明らかになりました。

大学衍義補版木

◆ご利用案内

基本情報

住所〒669-2332 兵庫県丹波篠山市北新町48番地
電話TEL・FAX:079-552-0056
開館時間9:00~17:00 ※受付終了 16:30
休館日毎週月曜日  年末年始(12月25日~翌年1月1日)
※祝祭日は開館、翌日休館
駐車場
青山歴史村
入館料
大人:300円  / 高校・大学生:200円  / 小・中学生:100円
4館共通入館券大人:600円  / 高校・大学生:300円  / 小・中学生:150円

※共通券は2日間有効。 ただし2日目が休館日の場合は当日のみ有効。
※歴史美術館が特別展期間中は、4館共通券の料金が異なる場合があります。
30名以上 団体割引大人:250円  / 高校・大学生:150円  / 小・中学生:50円

※お決まりの場合、お手数ですが、ご予約をお願いいたします。
※必要に応じて展示解説や質問への応対をさせていただきます。
入館無料対象①身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方
②保護者同伴の6歳未満のお子様
③「ひょうごっこココロンカード」「のびのびパスポート」をお持ちの方
④日本博物館協会会員証をお持ちの方
⑤「ひょうごカルチャーパス」をお持ちの方
館内ガイド必要に応じて展示解説や質問への対応をさせていただきます。
※事前予約要

学校関係者の方へ

丹波篠山の歴史を一挙に学べる篠山城大書院・青山歴史村・武家屋敷安間家史料館・歴史美術館は 班別ウォークラリーに適しており、近年、阪神圏の多くの学校に利用していただいています。

※校外学習でのご入館は、お手数ですが、かならずご予約をお願いいたします。
※必要に応じて展示解説や質問への対応をさせていただきます。
※見学準備や事前・事後の学習に役立つ情報提供、さまざまなご相談もできる限り対応いたします。

団体入館申し込みお問い合わせはこちら

◆交通手段/地図

●鉄道・バス

JR福知山線「篠山口駅」から神姫グリーンバス篠山営業所行「二階町」バス停下車 徒歩5分

●自動車
舞鶴若狭自動車道「丹南篠山口I.C.」から東へ約10分

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歴史文化施設地図


◆青山歴史村/目次

◆丹波篠山デカンショ館
(青山歴史村内)

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